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大阪地方裁判所 昭和42年(わ)2678号 判決

被告人 石伏義雄

明四五・一・三生 大阪府議会議員

主文

被告人を懲役一年に処する。

この裁判確定の日から四年間、右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四二年四月一五日施行の大阪府議会議員選挙に際し、かねて同府豊能郡・箕面市から立候補する決意を有し、同年三月三一日立候補の届出をしたものであるが、

第一  当選を得る目的をもつて、未だ立候補の届出のない同年三月一六日頃、大阪府豊能郡東能勢村大字余野九〇五番地所在の東能勢村農業協同組合組合長室において、選挙運動者である室木広治(当時東能勢村農業協同組合長、大阪府経済農業協同組合連合会長。同年一〇月三一日死亡)に対し、自己のため投票取纒等の選挙運動を依頼し、その報酬および費用として現金三〇〇、〇〇〇円を供与し、もつて立候補届出前の選挙運動をし、

第二  同年四月初頃、肩書地被告人住居において、選挙運動者である東野喜一(当時東能勢村議会議員)に対し、同人をして前記室木広治その他の選挙運動者に被告人のため投票取纒等の選挙運動をすることの報酬および費用として供与させる目的をもつて、現金二〇〇、〇〇〇円を交付し、

第三  同月一八日頃、前同所において、前記東野喜一に対し、同人が被告人のため投票取纒等の選挙運動をしたことの報酬とする目的をもつて、現金三五〇、〇〇〇円を供与し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(本件各金員授受の趣旨、目的)

判示第一ないし第三の各日時、場所において被告人と室木広治または東野喜一との間に判示各金員の授受がなされた事実については、争いのないところである。

被告人および弁護人は、右各金員の授受が判示のような趣旨、目的でなされたことを極力否認し、被告人の無罪を主張するので、以下項を分つて判示各事実につき有罪認定の理由を説明する。

一  判示第一の事実(室木広治に対する三〇万円の供与)について

1 本件金員の流れ

前掲各証拠を綜合すれば、本件三〇万円は、昭和四二年三月一六日頃(以下すべて同年中の出来事であるから、年次を省略し、月日のみ記載する。)被告人から室木広治に手交された後、次のような流れをたどつたものであることが認める。すなわち、

(一) うち一五万円は、室木広治から井本伊三郎(当時東能勢村農業協同組合参事)を介し四月四日頃東野喜一に手交され、

(二) うち一五万円は、室木広治から三月一八日頃久保亀蔵(当時東能勢村議会議長)に、同人からさらに、

(1) うち九万円は、三月二二日頃乾多市(当時東能勢村議会議員で被告人石伏義雄の選挙に関する地区責任者)、長沢源蔵(同右)、舛見義一(同右)、下浦景雄(同右)、井戸正昭(同右)、高橋友三郎(同右)の六名に各一万円ずつ、右高橋友三郎を介し野林實義(同右)、佐茂光義(同右)、東野喜一(同右)の三名に各一万円ずつ(右のうち、東野喜一の一万円は、同人から四月三日頃向井一郎に)、

(2) うち六万円は、石伏好子を介し三月三〇日頃東野喜一に、

順次手交されたものである。

以上を要約すれば、室木広治に手交された三〇万円のうち九万円は地区責任者九名(東野喜一の分は同人の代行者向井一郎)に各一万円ずつ配付されたが、残二一万円はすべて東野喜一の手中に帰した(一五万円は井本伊三郎を介し、六万円は久保亀蔵、石伏好子を経由)こととなる。

2 本件金員授受の趣旨に関する被告人の弁解

被告人は、当公判廷において、本件三〇万円は「立候補準備費用」として室木広治に預託したものであり、残余を生じた場合には、選挙運動費用の一部に組み入れるため、後日選任される出納責任者に引き継ぐべき旨を明示して手交したものである旨陳弁する。

ところで狭義の「立候補準備行為」とは、「立候補予定者が立候補の決意をなすにつき必要とする準備行為」(たとえば、公務員の退職の申出、政党の公認を求める行為、いわゆる瀬踏行為、候補者の選考会・推せん会の開催行為等)を指称するが、これらの行為に多額の費用の支出が必要とは考えられず、被告人自身、この種の行為に支出する意図であつた旨を主張していないから、被告人の言わんとする「立候補準備費用」とは、もつぱら「選挙運動者等において選挙運動の準備行為のために支出する費用」の趣旨であると解される。そこで、そのような費目として何が想定されていたのかを、被告人の供述に即して具体的に摘出してみると、(イ)選挙開始後一週間分位の演説会場・応援弁士を用意するための交渉、(ロ)選挙用の看板を誂えに赴く行為、(ハ)宣伝車の整備、(ニ)候補者用の自動車の準備等に要する交通費(第四五回公判廷供述、一一冊四、〇一三丁以下)であつて、そのためのタクシーの借上げに一日当り一万円ないし一万五〇〇〇円を要し、金員授受の日から告示までの約一五日間に二二、三万円(一日一万五〇〇〇円として計算すれば二二万五〇〇〇円)が計上されるほか、(ホ)選挙対策のための運動者等の会合の食事代、茶菓代として約七万円が見込まれる(第八二回公判廷供述、一三冊五、二四七丁以下)というのである。

3 金員の使途から見た右弁解の当否

前記1に判示したとおり、被告人から本件三〇万円を受領した室木広治は、その金額を久保亀蔵および東野喜一に渡してしまつており、被告人の弁解するような用途に直接支払つた分は皆無であることが明らかである。

また、室木から一五万円を受け取つた久保亀蔵も、その全額を地区責任者九名および石伏好子を介し東野喜一に渡してしまつているのであるから、同人が直接立候補準備費用として支出した分も、皆無ということになる。

さらに、東野喜一について言えば、同人が久保亀蔵から六万円を受け取つたのは告示直前の三月三〇日頃であり、室木広治から一五万円を受け取つたのは告示後のことであるから、これまた立候補準備費用として金員を支出する立場になかつたことが明らかである(選挙運動の期間中に費消した金員の使途については、後に判示第二の金員の使途と一括して検討することとする。)。

そこで、久保亀蔵から地区責任者九名に渡された各一万円の使途につき、以下に検討する。

本来、被告人の主張するように、選挙前一五日間のタクシー借上げの費用として渡された金員であるとするならば、室木広治なり久保亀蔵なりが一括して借上げを行ない、多数の選挙運動者の動きを統轄して借上車両を使用すべき日時、行先等を調整し、無駄や重複を避ける配慮がなされて然るべきであるのに、このような方法が行なわれず、地区責任者九名にこま切れに一万円ずつ配賦してしまつたこと自体(一万円ではタクシー借上料一日分にも足りない位である。)、被告人の主張と矛盾し、被告人の指示が徹底しなかつたか、あるいは当初からそのような指示がなされていなかつたことを疑わせるものと言える。現に、この一万円から告示前のタクシー代を支出したと述べているのは、九名のうち佐茂光義一名のみである(長沢源蔵もタクシーを一回使用したと述べているが、その代金は被告人の名前で借りにしたというのであつて、久保から渡された一万円の中から支払つてはいない。)。このようにタクシーの利用が行なわれなかつたのは、交通不便の土地柄各人が自家用車を保有し、これを利用したためであるが、そのためのガソリン消費に対しては、久保亀蔵から前示各一万円の授受に際し各人にガソリン券二、三枚宛を配賦するという手当がなされている。しかも右ガソリン券は、室木広治の指示により久保亀蔵がその頃東能勢村の古谷みつ子方から一〇リツトル券二〇枚綴一冊、上田重光方から一〇リツトル券三〇枚綴一冊をそれぞれ購入したものであるが、その代金は、被告人から室木広治、久保亀蔵に順次流れた本件三〇万円からではなく、選挙終了後(古谷みつ子に対しては四月二二、三日頃、上田重光に対しては四月一七、八日頃)東野喜一から支払いがなされていることが証拠上明らかである。

また、選挙対策の会合費にしても、これを招集する立場にある室木広治なり久保亀蔵なりが一括して支払うべき性質の費用であつて、これを選挙運動者に分配してしまうというのは、およそ筋の通らない話である。現に、この種の費用としては、池田商店に弁当代一万二〇〇〇円位、下坊商店に菓子代四、〇〇〇円がいずれも「別口室木」として未払いになつており、室木広治の依頼により東野喜一が四月二二、三日頃、それぞれ支払いをしているのである(東野喜一の検察官に対する六月一四日付供述調書、九冊三、五〇三丁以下)。

このように、本件三〇万円とくに地区責任者に渡された九万円のうち、被告人の弁解する前記(イ)ないし(ホ)に該当する費用に支出されたものは全く存在しないのである。被告人の盟友である室木広治が被告人の明示の意思をこれ程までに無視するものとは考えられないから、前記(イ)ないし(ホ)の如きは、公判対策のための後日の弁疏にほかならず、金員授受に際し被告人から室木広治に明示されていないと認めるのが相当である。しかしながら、前記地区責任者九名のうちには、前記一万円から選挙期間中または選挙終了後に選挙関係の費用を支出している者があるので、この点についてさらに検討することとする。もとより、地区責任者等の選挙運動者が出納責任者の文書による承諾を得ないで選挙運動に関する支出をすること自体、公職選挙法(以下「法」という。)第二四六条第四号、第一八七条第一項違反の犯罪を構成するのであるから、そのことから直ちに地区責任者等とこれらから費用の支給を受けた者との間においては費用としての性質に変動を生じないにせよ(この点については、後記二の3の(三)の(ロ)参照。)、地区責任者等としてはそのための出費を他の何人に対しても求償し得ないはずであつて、久保亀蔵からそのための費用として本件各一万円の供与を受けたものとすれば、そのこと自体、本来受けるべからざる不法な利益を選挙運動の報酬として収受したこととなる(後記二の3の(三)の(イ)参照。)のである。右の点は、後に判示第二の事実に関し詳論する(後記二の3)ので、かかる法律構成はしばらく措き、通常の報酬・費用の観念に従つて地区責任者等の収受した金員の性質をさらに分析してみると、同人等のした支出の中には、いわゆる選挙費用と見られるもののほか、(一)選挙運動とは何ら関係のない純然たる個人的出捐と目されるもの(後記二の3の(一)参照。たとえば、乾多市が能勢町議会議長暮部方の葬儀に個人名で供えたジュース二箱の代金一、二〇〇円ないし一、六〇〇円位、舛見義一が歌垣地区南郷の中村方の葬儀に個人名で供えた供花料二、〇〇〇円、高橋友三郎、佐茂光義が自己の所持金と混同のうえ支出したというコーヒー代、煙草代、散髪代、洗濯代等。また、乾多市が本件一万円から支出してガソリンを補給した自家用車を私用で二日間終日乗り廻したというのも、この部類に属する。)、(二)違法な選挙運動に要した費用(後記二の3の(2)参照。これに該当するものとしては、向井一郎が四月一六日頃当選のお礼参りに箕面、奥能勢を廻つた際の食事代七五〇円、下浦景雄が当選祝賀会の肴代として支払つた二、五〇〇円等がある。法第二四五条、第一七八条第一号、第五号参照)等も含まれているのである。また、野林実義、高橋友三郎、向井一郎のように期間中の選挙運動に関して全く支出していない者もあり、残金の処理についても精算をした者もあり、しなかつた者もある等さまざまである。このように本件金員の使途、残金の処理等が人によりさまざまであるのは、金員授受に際しその点の指示がなされず、受領者の裁量に一任されていたことを物語るものと言つてよい。従来の石伏派の選挙では地区責任者に金員を配ることがなかつたのに、本件金員が授受されるようになつたのは、検察官主張のような選挙情勢や被告人の主張するように公用車の流用を自粛せざるを得ない情況が相まつてのことと思われるが、従来から被告人の選挙を手弁当で応援していた選挙運動者の中には、受領した金員を選挙運動の費用にのみ支出し、残余を生じた場合にはこれを返還しようと自発的に決意し、これを実行した者もあると考えられる。しかし、受領者の側にそのような決意を有する者があつたとしても、本件金員授受の趣旨がそのように限定されたものであつたことにはならないのであつて、これを渡す側からすれば、金員の使途も定めず、残額の精算、支出先の証明等を要求する意図もなかつたことは、右に見た金員支出の実態から推認し得るところである。すなわち、本件金員は、選挙費用に当てるのみならず受領者の利得に帰すべき用途に当てることも容認する趣旨で、費用および報酬として供与されたものと認むべきである。本件九万円について後日室木広治の指示により久保亀蔵が精算の有無に関係なく全額を回収し、当初から授受がなかつたことにする旨を申し合せて証拠湮滅を図つた事実も、単に選挙費用の法定額超過を恐れたためというよりは(それなら、選挙運動者間の金員授受を秘匿するよりは、上田鉱油店のガソリン販売量に偽装工作を施したように、より直接的な湮滅方法があるはずである。)、右金員授受が運動買収としてなされたことの発覚を防ぐためと認めるのが相当である。

4 本件金員授受の趣旨

右に見たように、本件三〇万円のうち、久保亀蔵を通じて地区責任者九名に供与された九万円は、これらの者に対する運動報酬を含む趣旨で授受されたものである。そして、本件三〇万円は、右のような用途に充てるため室木広治において支出することをも含め、同人にその使途を一任して被告人から供与されたものと見るべきである。蓋し、被告人と室木広治、久保亀蔵の従来からの関係に徴し、本件金員の流れの過程で、後者が順次その前者から託された趣旨に反して金員を支出するということが考えられないからである。

弁護人は、本件三〇万円がすべて他に流されて室木広治の手許に全く残されなかつた点を捉えて、本件金員授受は費用の預託関係であつて供与と目すべきでないと主張する。右に見たように、本件では末端において運動報酬の趣旨が加わつているので単なる費用の預託のみとは見られないが、室木広治の手許に利得が残されていない点では、買収資金の交付・受交付の関係(順次共謀による供与が成立した段階でこれに吸収される。)ではないかとの疑念は残る。しかし、室木広治は石伏派の選対組織の実質的な最高責任者で長老的存在であり(明治二九年八月一四日生)、長年にわたる被告人の盟友であるところから、金員の使途について被告人からかれこれ指図を受けるような相手ではなかつたのであり、両名の検察官に対する各供述調書に述べられているように、その使い方は一切室木広治の自由裁量に委ねる趣旨であつたと認めるのが相当である。被告人が三〇万円を供与した動機は、室木広治から対立候補が派手に金を使うので村会議員に動揺が見られる旨を聞知し、被告人支持に結束させてもらいたい気持からであつたことが窺われるが、もともと東能勢村は被告人の地盤であり、村会議員の中に不満があるといつても、そのため対立候補派に走るというのではなく、従来から費用自己負担で応援して来たが今回は若干色を付けて欲しい程度のものであつたことが看取されるから(従つて、弁護人の言うように相手方が七〇〇〇万円使つたからそれ以上出さなければ効果がないというような関係ではない。)、場合によつては室木広治がその人格的統制力を発揮して金員の支出を伴わずに村会議員の支持を取纒めることも可能と思われ、そのような場合をも含め、本件金員の取扱いを同人に一任したと見るのが自然であり、同人が独自の判断で本件金員を全額被告人のために支出し、自らの手許に止めないことを決意したとしても、そのため金員授受の趣旨が変ることはない。

また、弁護人は、本件三〇万円のうち立候補準備のため支出した残額は出納責任者に引き継ぐべきものとして予定されていたのであり、被告人は室木広治から残金が一五万円あると聞かされていたため、法定額を考慮して選挙費用九〇万円を出納責任者上西文夫に渡したものであると主張する。そうだとすれば、三〇万円の使途は室木広治に一任されていたとの右認定と抵触することは明らかである。しかし、さきに述べたように、そもそも立候補準備費用なるものが本件三〇万円からは一切支出されていないのであるから、残額を選挙費用に組み入れるという話自体が不自然である(地区責任者に渡された九万円は選挙費用および報酬であるから、これを他の選挙費用と区別する理由がない。)し、被告人は当公判廷においてあるいは三月二五、六日頃(第四五回・一一冊四〇一八丁裏)といい、あるいは三月一九日の晩(第八二回・一三冊五、二六二丁裏)といい、要するに上西文夫に九〇万円を渡した三月三〇日以前の時点で、被告人の方から室木広治に対し前に預けた三〇万円はいくら残つているかと尋ねたところ一五万円あるという返事だつた旨主張しているのであるが、室木広治の検察官に対する六月一八日付供述調書(八冊三、一七二丁)によれば、被告人の右主張と略々適合する時点と思われる告示の二、三日前頃の三月下旬に被告人方で室木広治、向井一郎、高橋木三郎、東野喜一が被告人と会談した模様を詳細に述べながら被告人の主張するような問答のあつたことには全く触れて居らないのみならず、当選後の四月二〇日頃被告人方応接室で一対一で会つた際、当選祝の挨拶の後で本件三〇万円の使途について被告人に報告しておいた方が良いと思つて自分の方から久保亀蔵に一五万円、東野喜一に一五万円渡したと告げた旨、却つて被告人の主張と相容れない事実を述べているのであつて、被告人の主張はにわかに措信しがたいと言うべきである。

二  判示第二の事実(東野喜一に対する二〇万円の交付)について

1 借金の返済である旨の弁解の当否

被告人は、判示日時頃現金二〇万円を東野喜一に手交した事実を認めながら、右金員は、起訴状記載の如く室木広治に対する運動買収費用として東野喜一に交付したものではなく、東能勢村農業協同組合(以下「農協」という。)からの借入金の弁済内入金として農協組合長である室木広治に届けることを指示して東野喜一に委託したものである旨、弁解する。

井本伊三郎(同農協参事)の検察官に対する供述調書(謄本・二冊八九九丁)によれば、右調書(六月一四日付)作成時現在、被告人および妻好子の同農協に対する定期貯金は合計八七三、四六四円、母べん名義の貯金四三四円、息子正人名義の貯金五二、八〇一円、娘三津枝名義の貯金四〇、〇三三円(以上合計九六六、七三二円)があるところ、農協から被告人に対する債権としては、被告人に対する当座貸越六一六、二九四円、証書貸付一、四二〇、〇〇〇円(うち四口計一、二五〇、〇〇〇円は定期貯金を担保とするもの)があるほか、本件選挙に関し室木広治の命令により三月二二日頃無担保で選挙資金として貸し付けた一、五〇〇、〇〇〇円(ただし、井本伊三郎が被告人の署名を代行し、被告人から預つていた印鑑を押捺して作成した六月二二日を支払期日とする約束手形を差入れた形式を取つている。)のあることが認められる。

ところで被告人は農協からの各種借入金のうち、どの分の弁済をしようとしたものであるか、その弁明には変遷が認められる。すなわち、第四五回公判廷においては、選挙資金として借り受けた一五〇万円の一部弁済と受け取れる供述をしている(一一冊四、〇一九丁以下)のであるが、第六九回公判廷においては、当時農協からの借入金が三〇〇万円近くあつた(前記井本供述によれば、当座貸越分以外に二九二万円あつたことが窺われるので、この点は裏付がある。)ので、後日室木広治と相談して二〇万円に見合う適当なところに入れようと思つた旨の供述(一二冊四、八一二丁以下)になつているのである。しかし、右のいずれにせよ、その供述は不自然であつてたやすく措信できないところである。本件金員授受がなされたのは、証拠上四月一日か二日頃であると認められるが、告示直後そのような時期に「裏金の担当者」(検察官)、「闇費用の支出責任者」(弁護人)、「出納責任者の補助者」(被告人)等と呼ばれる地位にある東野喜一を通じて個人的な借金返済をしようとしたというのは、何としても不自然である。ことに、選挙資金一五〇万円の一部弁済と言うのであれば、前記井本供述にあるように、その弁済期は一応六月二二日とされ、期日が来れば手形書換も自由にできると言うのであるから、今後の資金需要の予測もつかぬ選挙期間突入直後にあわてて返済しなければならぬ必要は全くないのである。弁護人は、借金を何時返済しようと個人の自由であつて、本件二〇万円は当時被告人にとりさし当つて支出のあてのない不要な金であり、かかる金員を携行することは不用心であるばかりか買収資金を持ち歩いているような誤解を招く危険さえあるので、これを返済しようとしたのは合理的行動であると主張する。しかし、携行することに所論のような不便があるのなら自宅に保管するなり家人に預ければ足りることであるし、返済した方が良いと考えたとしても、人もあろうに東野喜一を使者とする必要は毫もないのである。また、弁護人は、被告人が過去にも公、私の用件で月数回被告人方を訪れた室木広治に託して農協への返済手続を行なつた実績があり、告示日の少し前にも所持金七万円を農協に返済した事実がある旨を主張し、この点を立証すべき証人井本伊三郎を却下した当裁判所の処置を暗に論難するかの如き口吻を用いているが、同旨のことは被告人が公判廷で供述しているのであつて、弁護人自身被告人の公判廷供述を措信しないと言うのなら格別、重複立証の必要は全くないのみならず、これらの事実で重要なのは、被告人が農協に借入金の弁済をした点ではなく、その返済手続が室木広治(組合長)なり井本伊三郎(参事)なりの農協関係者に委託されている点にあるのであり、本件金員授受に農協と無関係の東野喜一が介入して来ることの不自然さを一層際立たせるものと言わなければならない。さらに、前記第六九回公判廷における被告人の供述のように、三〇〇万円近い被告人の農協からの借入金のいずれかに充当する予定であつたとすれば、可及的速やかにどの分の返済に充当するかを決定しなければ、金員を委託された室木広治としてはその処置に窮する筋合いであるのに、被告人は(本件二〇万円を東野喜一が費消した事実を知らず、室木広治に渡されているものと信じていた旨主張するにもかかわらず)、この点について何ら同人と連絡を取つて居らず、五月三〇日か三一日頃同人が判示第一の三〇万円のうち地区責任者九名に供与された九万円の湮滅工作の相談に被告人方を訪れた際初めて本件二〇万円につき同人に確かめ、東野喜一から渡されていないことを知つたと言うのである(一一冊四、七八一丁裏)。しかも、そのとき被告人は「東野喜一から金二十万円組合に入れといてくれといつて預けたやつを組合に入れなんだか」と尋ねた(同右)と言うのであるが、これは東野喜一に「どれの分に入れるかはあとでおれが室木に話をするから」と言つて渡した(同丁表)旨の供述と矛盾する。室木広治としては、被告人から指示があるまでは農協に入れようがないはずである。第八二回公判廷における被告人の供述によれば、室木広治は週一、二回(一三冊五、二六八丁)、選挙期間中は殆ど毎夜(同五、二六九丁裏)被告人方に来ていたと言うのであり、被告人も選挙期間中四、五夜は自宅で寝た(同五、二五九丁)と言うのであるから、より早い機会に同人に対し弁済充当に関する指示は可能だつたはずである。もし、選挙運動に忙殺されてその暇がなかつたとすれば、何故そのような時期に返済を急がねばならなかつたのかと言う当初の疑問に立戻ることとなる。

以上の諸点に照らし、本件金員が農協に対する借入金返済のため東野喜一に託されたものである旨の被告人の弁解は、根拠のない架空のものと断ぜざるを得ない。

2 室木広治に対する買収資金としての交付と構成することの当否

起訴状によれば、本件二〇万円は「選挙運動者である東野喜一に対し、同室木広治が、被告人のため投票取纒等の選挙運動をすることの報酬および費用として、同人に供与されたい旨依頼し、その資金として」交付したものであると言うのであり、被告人の検察官に対する供述調書にはこれに副う供述がある。そして、検察官の主張によれば、被告人は本件金員を室木広治に対する買収資金として東野喜一に交付したものであるが、東野喜一はこれを自己に供与されたものと誤信し、選挙費用等に費消したので、被告人の意図したとおりの被告人と東野喜一の共謀による室木広治への供与は実現せず、共謀者間(交付の範囲で犯意を共通にする。)の金員授受である交付の限度で犯罪が成立したと言うのである。

なるほど、被告人が本件金員授受に際し「室木何とか」と言つて急いで部屋を出たが後の部分が聞き取れなかつたということは、東野喜一も起訴前から繰返し供述しているところである(検察官に対する六月一九日付供述調書・九冊三、三七九丁、同月二一日付供述調書・同三、五五六丁、第一〇回公判廷供述・二冊七二三丁裏、第一五回同右・三冊一、〇四三丁、第一六回同右・同一、一一一丁、第一七回同右・同一、二一五丁等)。しかし、本件金員が室木広治に対する供与を目的として交付されたものであることには、次のような疑問がある。

まず、室木広治に対し、判示第一の三〇万円のほかに本件二〇万円を追加供与しなければならない必要性の根拠が薄弱である。被告人の検察官に対する六月二三日付供述調書第八〇項(一三冊四、九七一丁)によっても、さきの三〇万円では村会議員その他有志の取纒めに不足だと思つたと言うのみで、三〇万円ではどれだけ不足なのか、追加分を二〇万円で足りると見た理由は何か、積算の根拠を何ら示していない。前示のように、さきの三〇万円は、選挙運動者に対し、従前と異り、今回の選挙には候補者から金が出ているということで被告人の誠意を見せ、その不満を抑えて結束を図る狙いをもつたもので、その取扱いは室木広治に一任されていたのであるから、金額の多寡はさして重要でなく、従つてもともと積算の根拠がある訳でもなければ、これに対する過不足を生ずるいわれもない性格のものであると認められ、室木広治から要求された訳でもないのに(却つて同じ頃同人名義で一〇万円、農協名義で一〇万円計二〇万円が同人から東野喜一に対して陣中見舞として手交されているのである。)、不足分を見込んで追加供与する合理性に欠けるものというべきである。

これに引きかえ、東野喜一に対しては資金供給の必要が明らかであるのに、何らの対策も講じられていないというのも不自然である。出納責任者である上西文夫に対しては、被告人から三月二四、五日頃立候補準備費用(供託金、仮設電話保証金等)として一〇万円、同月三〇日頃選挙運動費用として九〇万円をそれぞれ授与しているにもかかわらず、検察官の言う裏金の担当者あるいは弁護人の言う闇費用の支出責任者である東野喜一(同人がそのような地位に就いたことは、告示の二、三日前の三月末頃被告人の知るところであり、その地位の何たるやは、前回の選挙で石伏正太夫および上西倉治がこれを担当していたことからも、被告人の知悉するところと認められる。)に対しては、(本件二〇万円を除き)被告人から何らの手当もなされていないし、上西文夫に対し東野喜一の資金面を見てやるようにとの指示もなされていないのである。東野喜一に対しては、前示のように判示第一の三〇万円のうち二一万円が後日流れ込んでいるのであるが、それは本件二〇万円の授受がなされた四月一、二日頃より後の時点であり、被告人の意思によるものでもなく、被告人も選挙後までその事実を知らなかつたというのであるから、被告人が東野喜一の資金面に全く意を用いなかつたことは不可解と言うほかない。

第三に、本件金員を受領した後における東野喜一の行動も、「室木云々」の言葉が実際に発せられたことを疑わせるものである。もし、東野喜一が金員授受に際し被告人の口から「室木云々」と言うのを聞いて居り、その趣旨が聞き取れなかつたとすれば、何は措いてまず室木広治にその旨を告げて被告人の真意を探ろうとするのが当然である(室木広治が心当りがないと言えば、被告人に改めて問い直す必要があろう。)し、選挙期間中東野喜一は被告人方に詰めて居り室木広治も殆ど毎夜被告人方を訪れていたのであるから、室木広治に一言相談するのは極く容易であるのに、そのような形跡は証拠上全く窺われず、却つて四月二日頃箕面市まで出向いた際に出納責任者上西文夫と本件金員の使途につき協議したと言うのであるから、東野喜一としては本件金員はあくまで自己に交付されたものと信じていたのであり、そう信ずるについては現実には「室木云々」と言う被告人の言葉を聞いてはいなかつたものと考えるほかない。

しからば、何故被告人が検察官に対し室木広治に対する供与目的を自供し、東野喜一が捜査中はもとより公判廷においても「室木云々」と聞いた旨の供述を繰り返しているのであろうか。案ずるに、本件捜査段階において担当検察官が一定の嫌疑に向けてかなり強引な取調方法を用いた形跡が窺われ、関係者の自供中には後日虚偽であることが明らかとなつたものも含まれるので、これらの検察官面前調書については、その任意性を疑うに至らないまでも、その信憑性に関しとくに慎重な吟味を必要とするところ、本件二〇万円については、担当検察官は当初これが被告人から直接室木広治に供与され、同人から東野喜一に供与されたものであるとの強い嫌疑を抱いていたことが明らかであり、室木広治からその旨の詳細な自供調書(六月四日付第四項・八冊三、〇九八丁)を作成しているくらいであるから(同月一一日付第四項・同三、一二九丁裏で右は感違いである旨訂正、同月二一日付第二項・同三、一八八丁裏で錯覚の理由につき説明している。)、これが結局室木広治に渡つていない事実が判明した後においても、あくまで同人に供与する目的で東野喜一に交付したものであるとの嫌疑に執着し、被告人および東野喜一を誘導して右嫌疑に副う供述を得た疑いが強い。そして、東野喜一としては、「室木云々」と言う指示を聞いた旨の迎合的供述をしたとしても、現実に室木広治に本件金員を渡した事実がない以上、被告人の指示を最後まで聞き取れなかつたと弁疏する以外にない筋合いである。かくして、捜査段階における関係者の自供が作成されたのであるが、東野喜一が公判廷において右供述を維持し、繰り返し同一の供述をしているのは、捜査段階における右供述の存在を奇貨として、被告人が前示1で検討した農協への返済金という弁解を案出したため、それと符節を合わせているに過ぎないものと見るべきである。

以上の次第であるから、本件事案の真相は、本件二〇万円は、被告人から東野喜一に対し現実に同人がその後に行なつたような支出、すなわち判示認定のとおり室木広治その他の多数の選挙運動者に対する報酬および費用に当てさせる目的で交付したものであると認めるのが、最も事実関係に素直で合理的な見方であると言うべきである。そうだとすれば、当裁判所の認定事実が起訴状掲記の訴因と若干異なることとなるが、被告人と東野喜一間の交付・受交付関係に変動はなく、供与先が室木広治一名から同人を含む多数の選挙運動者に変つたのみであり、かつ、この点に関しては十二分に証拠調を重ね、防禦が尽くされているので、敢えて訴因変更の手続を要しないものと解する。

ちなみに、判示第一の室木広治に対する三〇万円と本件東野喜一に対する二〇万円とは略々同様の目的で授受されているのに、一方を供与と認定し他方を交付と認定することへの疑問および後者が交付であるとしても、東野喜一から他の選挙運動者に渡された段階で被告人との共謀による供与が成立し、交付はこれに吸収されるのではないかとの疑問が考えられるが、被告人と室木広治および東野喜一との相互の関係に照らし、室木広治に対しては前示三〇万円を同人が自己の利得に帰することをも含めてその処分を一任したと見られるのに対し、東野喜一に対しては支出目的の範囲内でその相手方および金額等の選択のみを委ねたと認めるのが相当であり、また、東野喜一からの支出先はある程度特定できるが、同人の資金源としては本件二〇万円のほか判示第一の二一万円、陣中見舞として受け入れた金員数口があり、どの資金をどの分の支払に当てたか特定し得ないので、被告人との共謀による各別の供与を認定することは不可能である。

3 選挙運動費用の違法な支出と違法な選挙運動の費用(東野喜一の支出内訳)

東野喜一が本件選挙に関してした支出が出納責任者の文書による承諾(法第一八七条第一但書)を得ていない点で全面的に違法であるほか、個々の支出費目についても公職選挙法のその他の禁止規定に触れる違法なものが含まれることは、弁護人もこれを自認するところである。弁護人は、このような同人の地位を「闇費用の支出責任者」と表現するが、その言わんとするところは、同人のした支出は違法すなわち「闇」ではあるがあくまで「費用」としての性質に変りはなく、捜査担当検察官らの想定していたと思われる「裏金」即「買収資金」の関係にはないことを強調するにあると思われる。

そこで、費用と報酬との関係につき若干の考察を試みることとする。東野喜一が本件二〇万円をはじめ、判示第一の三〇万円のうち同人の手中に帰した二一万円や判示第三の三五万円その他陣中見舞として寄附を受けた金員の殆どすべてを何らかの支出に当て、自らの手許には残金の形での利益を止めなかつたことは証拠上明らかである。また、同人から金員ないし現物(ガソリン券や弁当)の支給を受けたその他の選挙運動者も大半はこれを費消していることが認められる。しかし、このような事実関係から、本件金員等がすべて費用として授受されたものであるとの結論を導くのは早急である。貸付や預金とする場合は別として、およそ金員等が費消された場合、費消した本人のみを基準として観察すれば、すべての費消行為は国語的な意味では「費用の支出」にほかならない(それ故、買収行為を行なつた場合でも、買収者を基準として見ればやはり「費用の支出」である。)。しかし法律的にはある単独の行為主体のした金員の支払が右の国語的意味における「費用の支出」に当るか否かが問題となるのではない。供与・受供与の罪あるいは交付・受交付の罪は特定の二当事者間における金員授受の性質を問題とするものであるから、何らかの実費を支出した者(以下本判決において仮に「直接支出者」と呼ぶこととする。)がある場合において、その者のした当該支出の性格が単独で問題とされることはなく、事前または事後に当該支出につきこれを補填してやろうとする他の者(以下本判決において仮に「資金供給者」と呼ぶこととする。)があるとき、両者間の金員授受の性格が問われることとなるのである。そして、両者間の金員授受が直接支出者のした選挙運動に関してなされている場合において、資金供給者のする給付が実費弁償ないし費用補償の性格を有するとき、換言すれば、直接支出者が当該支出につき資金供給者に対し適法な求償権を有するとき、右金員授受は適法な費用の受渡しと認められるのに対し、然らざるときは、直接支出者が本来資金供給者に支弁してもらういわれのない当該支出相当額を選挙運動に対する報酬として不正に利得したこととなるのである。なお、右の直接支出者、資金供給者の慨念は固定的に考えるべきではなく、金員の授受が順次上位の者から下位の者に段階的・連鎖的になされている場合には、問題とされる金員授受ごとにこれを決する必要がある(従つて、ある段階の金員授受に関しては資金供給者の立場にある者が、より上位の金員授受に関しては直接支出者の立場に立つことも有り得る。)ことは、附言するまでもないところである。直接支出者のした当該支出の性質如何は直接には問うところではないが、それが求償関係の成否と関連をもつ限度において類型化することが、以下の考察において便宜と思われる。右のような観点から、本件選挙運動費用に即し、やや具体的に検討を試みよう。

(一) 費用支出を行なつていないときまたは選挙運動に関係のない費用を支出しているとき

この場合、求償関係を生じないことは明白である。従つて、選挙運動費用名下に金品を供与することが買収となることも論をまたない。本件において地区責任者を介し連絡所提供者に供与もしくは供与の申込をした各二万円(舛見義一を介し田尻地区の川勝伝雄に、井戸正昭を介し東郷地区の清水フクエに、乾多市を介し西能勢地区の岡田チエに各二万円供与、長沢源蔵を介し歌垣地区の河畑忠一に二万円供与申込)は、各連絡所において生じた費用(これについては、東野喜一が後日支払いをすませている。)とは無関係の謝礼の趣旨が大半を占めるものと目される。また、対立候補側が故池田勇人内閣総理大臣の夫人満枝の来援を得て箕面市内をパレードしたことに対抗するため、被告人の地元である東野勢村の住民を大量動員して親戚、知人方を訪問し、あるいは路上で面接する人に投票依頼をする等の人海戦術を取つた際、池田市の正弁丹吾寿司で巻寿司七三〇人前を作らせ、選挙運動に出かけると言つて来る者には見境なくその者の言う人数分だけをそれぞれジュース各一本を付けて配つているが、これらの支給を受けた者が全員所期の選挙運動を実行したかは疑わしい。さらに、選挙期間の前後を通じ、古谷みつ子方および上田重光方から久保亀蔵および東野喜一がガソリン券合計六、六〇〇リツトル分(一〇リツトル券二〇枚綴一冊、同三〇枚綴一冊、五リツトル券二〇枚綴一六冊、同三〇枚綴三〇冊。合計一〇リツトル券五〇枚、五リツトル券一、二二〇枚)を購入し、その大部分を多数の選挙運動者に配賦しているが、これらの支給を受けた者の中には、そのすべてを選挙運動のための自家用車の走行に費消し、不足分を自弁したものもある一方、私用のための走行にこれを費消した者のあることが看取される(全員について確かめることは不可能であるが、少くとも前示乾多市の例がそうであるし、高橋友三郎も、選挙期間中昼は箕面市役所内の勤務先に出勤する傍ら、帰りがけに近くの選挙事務所に立寄つてから帰宅するという生活をしており従つて自家用車の走行は殆ど自己の通勤のためのものであつたにもかかわらず、ガソリン券の配賦を受けたことを認めている。)。

(二) 違法な選挙運動を行なうために費用を支出しているとき

法の禁止する違法な選挙運動は、それが形式犯であると実質犯であるとを問わず、何人もこれを行ない得ないのであつて、かかる犯罪行為に要した費用は本来他の何人に対しても求償し得ないものと言わなければならない。従つて、違法な選挙運動のためたとえ実費を支出したとしても、これにつき第三者から相当額の補償を受けることは、本来受け得ないはずの不法な財産上の利益を供与されたことになるものと解すべきである(同旨、東京高裁昭和四一年八月三一日判決、高刑集一九巻五号五四八頁)。本件における連絡所の設置行為は、違法な選挙事務所の設置(法第二四一条第一号、第一三〇条第一項違反、法第二四〇条第一号、第一三一条第一項違反)または休憩所等の設置(法第二四〇条第三号、第一三三条違反)に当るから、前示地区責任者を介して連絡所提供者に供与もしくは供与の申込をした各二万円が、場所提供に対する謝礼のみでなく、場所提供に伴う家具什器の損料その他の有形無形の損失を補償する意味をも含むものとしても、そのような補償を行なうことは場所提供者に対する不法な利益の供与となるものと解される。また、これらの連絡所において参集した選挙運動者に飲食物を提供することは法第二四三条第一号、第一三九条違反となるから、飲食に要した費用はその提供者が自弁すべきものであつて、その未払代金を後日東野喜一に支払つてもらつたことは、同様に不法な利益の供与を受けたこととなる。さらに、前示動員に際して行なわれた戸別訪問(法第二三九条第三号、第一三八条違反)のための弁当(巻寿司)、交通費(ガソリン券)等の支給、当選祝賀会(法第二四五条、第一七八条第五号違反)の酒肴代の支払等についても、同様である。

(三) 費用支出に関する制限に違反するとき

これは、場合を分けて考える必要がある。(イ)違反行為が直接支出者の当該支出について認められるときは、その費用支出そのものが犯罪を構成することとなるから、これにつき第三者に求償できないことは、右(二)の違法な選挙運動の費用支出と同様である。(ロ)これに対し、直接支出者の当該支出そのものは適法になされているが、これに対する費用供給者の支出が法定の制限に違反することとなる場合は、同列に論じ得ない。たとえば、直接支出者において適法な選挙運動のために交通費、食費等の実費を支出した場合に費用供給者の側にたとえば出納責任者の文書による承諾(法第一八七条第一項但書)を得ていないとか、法第一三九条但書の数量制限をこえるとか、法第一九四条所定の選挙費用の法定額をこえるとかの違法事由が存するとしても、直接支出者の求償権が直ちに失なわれるものとは言えないのである。右の例の場合でも、直接支出者が出納責任者またはその文書による承諾を得た者に請求すれば、適法に実費弁償を受け得るのであり、また、数量や金額の超過というのは、総量規制の違反であるから、全体としての違反は言えても、それを構成する個々の支出費目ごとに適法な分と違法な分とを区別して特定することはできないのであり、従つて費用供給者の側に総量規制の違反がある場合でも、直接支出者の特定の費用支出が求償権のない違法な支出に転化するいわれはない。本件について言えば、前示巻寿司七三〇人分の提供は明らかに違法であるが、これを受ける者の側に前示(一)(二)に該当する事由の存しない限りは、提供者の側に法第一三九条違反等の問題を生ずるに止まり、買収被買収の関係を生ずることはない(以上と似て非なる場合として、法第一九七条の二所定の実費弁償の金額の制限を超過したときは、超過分については、本来何人に対しても適法にその弁償を求め得ない性質のものであり、直接支出者において自弁すべきものであるから、全額につき弁償を受けた場合は、たとえ同額の実費を支出しているときであつても、差額につき不法の利益を収受したこととなるのである。)

4 本件金員授受の目的

以上を要約すれば、本件二〇万円の授受に際し被告人が東野喜一に対し「この金を室木に渡すように」と指示した事実は認められず、従つて、本件金員は室木広治を介し農協に返済する目的で東野喜一に交付したものである旨の被告人の弁解も、本件金員は全額室木広治に対する買収資金として東野喜一に交付したものである旨の検察官の主張もともに採用の限りでなく、事案の真相は、その後の経過が示すとおり、東野喜一をして室木広治その他の多数の選挙運動者に報酬および費用として供与させる目的をもつて交付したものであると認めるのが最も合理的であり、東野喜一は、本件金員を、多数の選挙運動者に対し、その者が選挙運動に関する実費を支出して居らず若しくは違法な選挙運動のための費用を支出しているため同人に対し求償権を有しない場合の報酬またはその者が適法な選挙運動費用を支出している場合の費用補償として、現金、ガソリン券・弁当等の物品、未払代金の支払等の形で支出したものであると認められるのである。

三  判示第三の事実(東野喜一に対する三五万円の事後供与)について

本件三五万円が東野喜一からどのような費目に支出されているかについては略々争いがなく(大別すれば、弁護人主張の如く(イ)選挙運動期間中に債務の発生していた選挙運動費用(適法なものに限らない。また、連絡所における飲食費のように、同人が事後に債務の存在を知らされたものも含まれる。)および(ロ)同人の不知の間に債務の発生していた各地区における当選祝賀会関係費となる。)、問題は、同人がこれらの支払いをなしたことおよびその支払資金を被告人から受領したことの法律的意味である。

まず、右(イ)の一応選挙費用と見られるものから検討しよう。これには、東野喜一自身が選挙期間中に債務発生行為に関与したもの(古谷みつ子、上田重光方からのガソリン券の購入や正弁丹吾寿司に対する巻寿司の発注等)やその他の選挙運動者が同人と意思を通じあるいは通じないで債務を発生させていたもの(「別口室木」として未払になつていた準備期間中の食事代等や連絡所における飲食物提供代金の未払分等)が含まれる。これらの中には、連絡所における飲食物の提供のように、それ自体違法な選挙運動であつて、東野喜一に対し求償権を有しないものも含まれて居り、同人がその未払代金を支払つてやることは、本来の債務者の債務を不法に免脱させる意味でこれに対する報酬の事後供与と解されるものもある。判示第二の事実に関し、費用と報酬との関係について詳論したところは、すべて本件三五万円の流れについても妥当するのである。ところで、判示第二の事実に関しては、主として東野喜一から他の選挙運動者に対してした金品の授受の性格を検討することが目的であつたため、後者を前述の直接支出者、東野喜一を資金供給者として両者間の求償関係の存否に焦点を当てて論じたのであるが(それは、判示第二の事実が交付罪として構成され、受交付者である東野喜一から先の金員の流れが重点であつたことによる。)、本件三五万円については、被告人から東野喜一に対する事後供与罪の目的が問題となる故、同人を直接支出者、被告人を資金供給者の立場に当て篏めて観察する必要のあることに留意しなければならない。この点を混同すると(弁護人の立論にはしばしばその傾向が窺われる。)、東野喜一から他の選挙運動者に対する支出が(もちろん違法ではあるが)費用弁償の性質を帯びている場合(そのような場合の存することは否定できない。)、その一事をもつて直ちに被告人から同人に対する金員の授受も費用弁償に当る旨の誤つた速断に陥りかねないのである。さきに見たように、同人から他の選挙運動者に対してした給付(未払代金の代払いという形を含む。)には前示二の3の(一)ないし(三)のような諸類型があり、それは選挙に同人が本件三五万をもつて支弁した諸費用についても見られるのであるが、同人を直接支出者の立場において観察するときは、出納責任者の文書による承諾を得ていない点において、その選挙に関する支出はすべて違法となるのであり(そのほか、個々の支出に関して、あるいは買収に当り、あるいは費用支出に関する制限違反に当る場合がある。)、本来被告人に対し求償できない出費に当るものと言わざるを得ない。

次に、右(ロ)の費用は、それ自体違法であるのみならず、東野喜一の関知しない間に債務発生行為がなされたものであるから同人がその支払いに任ずべき義務は全くないものである。それにもかかわらず同人がその代払いを決意したことは、もとより同人の自由意思によるものであつて批判の限りではないが(本来の債務者に対し、求償関係に基かず、好意的に債務を肩代りしてやつたこととなる。)、だからといつて、同人から被告人に対し求償権を生ずるいわれはないのであるから、当然のように被告人に対しその資金を要求するのは筋違いと言わざるを得ない(断るまでもないが、これらの債務につき、同人に支払義務があると言うのではない。本来支払義務のないものを任意に支払つたとしても、その費用を被告人に請求することはできないと言うに過ぎない。)。

してみれば、右(イ)(ロ)いずれの支出についても、東野喜一としてはこれを被告人に対し求償することができなかつたものであるから、本件金員授受を選挙費用の受渡しまたは選挙と無関係な支払代金の預託と認めるに由なく、授受の時期、情況に鑑み同人が被告人のため選挙運動をしたことの報酬とする目的をもつてこれがなされたものと認めるのを相当する。

(法令の適用等)

法律に照らすと、被告人の判示各所為中判示第一の供与の点は公職選挙法第二二一条第一項第一号に、同じく事前運動の点は同法第二三九条第一号、第一二九条に、判示第二の公職の候補者による交付の点は同法第二二一条第三項第一号、第一項第五号に、判示第三の事後供与の点は同法第二二一条第一項第三号にそれぞれ該当するところ、判示第一の供与と事前運動の各罪は一個の行為にして二個の罪名に触れる場合に該るから刑法第五四条第一項前段、第一〇条により最も重い供与罪の刑を以て処断すべく、以上各罪につきいずれも懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条により最も重い公職の候補者による交付罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において被告人を懲役一年に処し、諸般の事情を考慮して同法第二五条第一項によりこの裁判確定の日から四年間、右刑の執行を猶予し、刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して訴訟費用は全部被告人の負担とすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 山中孝茂 半谷恭一 山川悦男)

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